「阿賀に生きる」

改めて見ると、そのものが持っているものを発見できることがある。
また見てよかった。とても好きだったのだ。
そして佐藤真さんは「生」から「不在」を見つめることになる。
さらに編集作業。とても短い第一部の編集を終えて、第二部である。
いまは二部構成でやっている「三人、(仮)」です。
ここに人が産まれる瞬間があるのです。こうやって産まれてきた麓くん。理由はいらない。ただ素晴らしい。編集は進んでいる。でもさらに撮影したいと思っている。
プラズマクラスターに大はしゃぎ。空気が心地ええ。ひゅー。
ついでに部屋を掃除。
すると淡路島で知り合った篆刻家で書家の南岳杲雲さんにもらった書が出てくる。大学時代に「今野くんのイメージや」とその場で書いてくれた書である。これをふと部屋に貼るのだった。
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「悪人」を見た。

同居人の橋本が見たがっていた「悪人」を西新井の映画館に見に行った。
うーん、となる。
色々と気になる事が多すぎる。そうなのか、と何か落ち込む。これくらいで良いんだろうな。こういうのは。なんか人を抉って描いているような評判だけど、そうなのか。これで良いのか。つまり人殺しのことを描くのに、これほど音楽を鳴らすのかという気持ちがある。役者は実力ある人が多く出ていたし、光石さんはとても良かった。皆がアップに耐えるほどに役者としての力を発揮していていた。でもやっぱ気になるんだよ。妻夫木さんの不条理さが足りない。深津さんの淫乱さが物足りない。被害者の遺族の柄本さんの分量が多すぎる。色々気になる。蹴り飛ばした大学生役の岡田くんのそばにいる友達の佇まいは都合がよく、本当に意味不明。「悪人」を描く為の、様々な悪意が足りてない。監督に悪意がない。どうしても抉られない。たとえば新井英樹の中に出てくる業に塗れた人間臭さが出て来ない。何故か綺麗になっていく世界。ユートピアのような灯台の平凡さ。違うんだよ、見たかったのは。孤独って変態だよ。あと、運についても触れて欲しかった。なのに綺麗な音楽が流れてくるんだよ。何だよ。まったく。前半は期待感があったんだけどな。やっぱり自分には物足りなかった。これならもっと最初から綺麗ごとが見たいよ。なによりも抜け落ちていたのは妻夫木くんが働いている現場の描写で、もっと描くべきだったことだと思う。同僚とか。
ただ、樹木希林さんの沈黙には加害者の家族に流れている時間を感じさせられた。
この映画は映画の時間がうまく流れていない。「悪人」の最後で深津さんが吐き出す言葉のためには二時間強じゃ足りないってことだ。
よし、見てみるか。「ヘブンズ ストーリー」を。

出来てます。

実は『信じたり、祈ったり』は出来ています。『生きている』の完成を待っています。
予告編で待ってください。

シャオカンに会えた!!!

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真ん中にいるのは最高の俳優で、映画監督でもあるリー・カンションさんです。
この写真を見て分かるとおり、あこがれの人に会えると、こういう状態になってしまうのです。
大ファンである左の今野と、同じく長年のファンである右にいる上村(聡)さんはこの日、ついに同じフレームに収まったのです。
そして映画監督のツァイ・ミンリャンさんにも会えたのだ。ツァイさんも、リー・カンションさんも、ほとんど想像とブレのない最高の表現者で、しかもなんと優しい人なのでしょうか。質問には根幹の部分を、饒舌でありながら、シンプルに、それはストレートに語って頂きました。終わった後は喜びで目眩がしていました。そして、いまは色々と濃密に聞けた事でやる気に溢れております。ツァイさんの撮る対象への態度を確認できたという事で、ほんとうに勇気をもらえました。
幸せな二日間でした。
あと我が作品である『水の大師の姉弟』をツァイ・ミンリャンさんに渡せたのも最高の出来事でした。
この一大イベントの後には、以前からこちらが勝手によく知っていた映画監督の浅野晋康さんと、上村さんと終電近くまでカフェで過ごして、お二人から色々と話が聴けたのもとても勉強になったのです。
とにかく最高の一日だったとしかいいようがない!!!

会いたい人に会おう

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いろんな事に集中している。今年はそういう年になっている。かなりストイックにやっている。
『生きている』は見えてきた。あとは音だ。現在は自分でまとめている。スタッフ的な事に関しては一人で進めている状態になっているので大変だけど、良いものにするためなら何だってしてやる。うまく時間を分けて使って、色々と進めてやっていこうと思う。また音を追加して録る必要がありそうだ。そして音楽に関しては満足出来るものが出来そうで楽しみだ。もっともっとやってやる。作品に全てを注ぎ込め。
時間がかかっているので待たせている関係者の皆さん、もう少々お待ち下さい。
そして戯曲は書けないけど、まとめるつもりが今はないから、大丈夫だと思う。
インプットも激しく続く。
昨日の流れで未見だった『フィッシュストーリー』を鑑賞。そうか。伊坂さんは音楽の人なんだな。まだ小説を読んだ事がないので読んでみようかな。と、Wikipediaで調べると自分が横浜の暗黒時代に聴きまくっていた斉藤和義さんに繋がったのだった。なるほど。「幸福な朝食 退屈な夕食」だったのか。
さらに吉田秋生さんの『海街diary3 陽のあたる坂道』読了。なんて良質な漫画なんだ。あー、裕也よ。すずじゃないのかよ。何だよ。あー。そっか。やっぱ夏だなー。
そういや黒田硫黄さんの復活はいつなんだろうか気になると、久々に『茄子』を読んだのだった。
しかし『ゴールデンスランバー』の竹内結子さんは素晴らしかった。
そして女優という職業について長い時間考えていたのだった。戦いだ。イーストウッドじゃないけど、女性ってもんは素晴らしいのだと言いたい。

雪が降っていました。

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雨です。
仕事を進めています。徐々に落ち着いてきて、参加してくれた人を想いながら映画の事も進めています。そして音楽家の人から良いものがドンドンあがってきています。素晴らしい人と出会えたみたいです。電話で病気と戦っているおじさんの近況をおかんに聞いて、さらに落ち込んでいる場合じゃなくなりました。
そして今日は映画の日なので、映画館で気持ちを入れる事にして西新井のモールへと向かう。
待望の『かいじゅうたちのいるところ』は最高傑作でした。
そこにはほんとの約束がありました。まさに、ちゃんと映っていました。めちゃくちゃ泣いてしまいました。
アメリカ人のスパイク・ジョーンズさん。ありがとう。
家に帰ろうとした時、映画を見る前にモール内で魚のサンドイッチを食べていたのですが、座ったベンチに傘を忘れたぞと思い出して、慌ててモールの中をうろうろとして探すが全然見つからず、見つけたインフォメーションセンターみたいなとこに行ってみると、帰る用意をしている案内のお姉さんがいて、引き止めて相談したら、一緒に必死に探してくれて無事に見つけてくれた。なんていい人なんだと感謝して帰るときに、お姉さんが「外は雪が横殴りに吹雪いているみたいですよ、気をつけてお帰りくださいね」と丁寧に伝えてくれた。モールを出ると確かに雪が降っていた。見つけてくれた傘には雪が積もったというお話。
ニホン人の西新井のモールにいたインフォメーションセンターのお姉さん。ありがとう。
明日から稽古です。楽しみです。

生活

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ユーロスペースでカネフスキーの『ひとりで生きる』を鑑賞。
見に行って良かったです。そうだった。映画ってもんがどういうものか蘇りました。
パーーンと視界が開けてきました。まなざしって、こうも強くあるんだと改めて思う。
もうこの瞬間は二度と訪れない。だから動かされるのでしょう。
そして命の上に命があるってことが現れてくるのです。
私事で色々とありまして、そばで傷ついてしまっている人たちがいて、それを見るとボロボロになってしまうけど、俺の知らない誰かもどこかできっとボロボロになっていると思うと、何でも分かってる振りとか、自分には完璧に想像力があるとか、色々と何かを比較とかして不幸を生み出したりは、出来るならもう全部捨て去って、自分が今やれる事に持てる想像力の全部を注ぎ込むしかなくて、それがどこかで誰かと繋がっていたりすると、それはもう死んでしまってる人かもしれないけど、でも必ず遠いどこかに届いているのだと、きっと馬鹿だと思いますが、信じて、自分がやりたいと強く思えるものをやる以外に、まったくやれる事がないという事にはっきりと気づいた気がします。それも勝手ですが、それ以外に今は方法がなくて、誤魔化しても悲しくなるだけです。だからもっと考えて、もっとやる事があると思います。絶望していて、だからこそ抗いたいし、大事なものはあるし、こういう強い言葉は知らない間に空転したりするし、1月も半ばを過ぎてはいるけど、全部出し切るつもりの一年にしようと思っております。
納得出来ない事があれば今まで通り言うと思うし、大人になった自分と子供の頃の自分の勝負も続いています。真剣勝負です。いまだ修行は足りませんがよろしくお願いします。
そして、だからこそ生活を大事にしたい。
橋本家からうちに届く白米は実に美味しいです。有り難うございます。
久しぶりに秋葉原で再会した親友は楽しく過ごしているようで変わっていなくて嬉しかった。
昨日は佐藤拓道さんと南波典子さんの間に産まれた佐藤麓くんの成長がはっきりと見えて感動しました。出会う人に恵まれていると思います。
あとツイッターはやりません。
繋がる事を拒否しているわけじゃないのですが、向いていないのでしょう。