20200819

夏になって考えることや思い出すことと共に動いてます。
東京に出てきて暮らした街、浅草を歩いても北千住を歩いても何かを思い出すし、もはやそれが何なのかなんてことよりもひたすら今です。過去と未来そのものである今のことです。目の前に芸術というものがあるとして誰にどうこう言われる前に自分はすでに生きてて作っていってます、様々な可能性の中で、多面的に見える世界の中で、捉えることが出来る限りの感覚の中で。
世界そのものとごく自然に向き合う時期がコロナと共にやってきて活動は4月くらいから緩やかに変化させてます。
あっという間に夏が、というより濃密な時間の中で見事に夏がやってきたというような清々しい気持ちです。

『トタンに』という短編映像を作りました、新作です。
日々の中で通り過ぎていくもんがどこに向かってるかなんて意味求めなくたってそこにある、いるってことが希望だという思いは常にあって、そばにいる人たちが眺めた跡が捉えようのない今と小さな関係をもってる様を繋ぎました。やってみたら燃えて発見の多い作業でした。

これ、東京都がやってるアートにエールをっていうのに出して、源泉徴収引かれて口座には九万円振り込まれました、こういうことなんですよね、お金って、なんで九万円なんだろうって思いました、これが多いのか少ないのかの話じゃなくアートなんて定義に興味ないけどもらえるものを受け取ってみてちょっと呆れてもいました、都市や国が司ったり生み出す仕組みってほんと難しいですね、全ての申し込みに対応して振り込み作業してくださった方々にはお仕事ご苦労様でしたという気持ちです。
求める生活によって階級ができたり境界線を引いたりして、高い対価を払ってくれた相手こそが自分の価値を認めてくれる相手だということになるなら、豊かであることの定義にはただ踊らされていくだけですね。豊さを振舞うためにお金を使うことには興味ないのでないところや本当に困った人にお金が回っていく仕組みが生まれたらいいけど、現実的にも外(外部)と出会うのは相当難しい、無自覚な構造がひたすら強固になってて手強いですね、コロナなんかよりもよっぽど。

今はMARCHというアメリカのコミックを読んでますが重要な記録となってて素晴らしいです。Black Lives Matterがアメリカ全土で広がりを見せることとコロナウイルスが世界中に広がっていくことは全く違っているようでまったく同じ世界にあることです。その渦中で表現のど真ん中にいます。子供の頃から差別は心の底から糞食らえだと思ってますが自分の中にだってあるかもしれない差別意識について考えていってます。知らない未知のものに触れていくこと、小学生の時にまったく興味も関心もなかった虫たちの孵化や羽化をみて記録して感動しました、蝶が懐く日が来るなんて、それ以来どこにいても虫の気配をキャッチしてて、街を歩いても驚くほどの気配に満ちていて蝶が羽ばたいていても鳥が囁いている様子も感覚が拾ってます。

時間は流れていきますがこのまま続きます、いつか会いたい人や再会したい人がいるって素晴らしいことですね。
未来が見えてくるようです。