20200525

日記ではないですね、これは
書きにくいところに書くようにして洞窟に絵を描くような気持ちで書きます
母親、父親に向けて書くのが最初の目的だったこの場所のことも忘れてしまい近況報告もなにもないくらい間があいています

これまで集めていた沢山の本を同時に読み進めてるところです、じぶんは絵を描くことには興味ないのですが色を塗るということについては手つき・タッチというものを探すため次つくるかもしれない何かを思いながら実験してます、植物はいくつか並行して育てているけど不具合が出たり失敗したり、なかでも「間引く」という行為を自分で行うことはとても大きな体験で種から育てるのはいいことです

映像は毎日撮り続けていて、映画をつくることよりも人を撮ることに興味があって映画をつくってたと思ってましたが文鳥が出てくる映画をつくりはじめました、これからコツコツ映画になれそうなら映画にします、使うか使わないかはわからないものを拾ってるような感覚のなかに映像はあって、特に何だというわけではないですが、残るものは多面的なものであってほしいです
今日がすべてだということだと思ってます、これまでもこれからも正直どうだってよくて、今ここにいる熱みたいなもんがこの生活の中でさらにぐんと上がってきて身体に馴染んでしまったのでここにいます、人と会うか会わないかよりもなにより自分でいることが、そこで自分が自分じゃないような感覚を得ることを少しでも起きたり起こしていくために存在してることが楽しいです
家の外では鳥がよく鳴いていて、それは前まで住んでいた家のそばではそれほどなかったことだし、単に街には鳥が増えてたりしてて外の世界から人が減ってることが生態系を変えていて距離感が縮んだりしてるのはいいことだと思うけど、この時間もあっという間に人は忘れてしまうので今与えられたこの時も消え去っていくだけです、このあとコロナが落ち着いた時にきっと巻き起こるであろう馴れ合ったような時間がものすごく苦手なのでその時にこそ家に篭っていようと思います

佐藤真さんの映画をみました、今でもこれだとしか言えず、京都の大学で佐藤さんに会えたのは本当にラッキーな出来事だったし掛け替えのないものとして残ってます