


同居人の橋本(和加子)さんが日光へ行きたいという、家康か、とお参りに行きました。
日産マーチは走る。東照宮は美しかった。素晴らしかった。なんだよ、と思った。そして日光金谷ホテルのパンは美味しい。アップルパイ。ふと、歩いていたらジャクソン・ポロック展のポスターを見つけて言葉に持っていかれる、ポロック曰く、【絵の中にいるとき わたしは自分のしていることを意識していない 「知り合う」ための時間を過ごした後 やっと私は自分のやっていたことをわかるようになるのです】、というかこれだし俺のやってること。そうおもう。で、自惚れなんてなしに、むしろ見にいかせて頂きますとおもった、つまりポロックさん発見。
日光を歩く。山奥で神聖な水を汲んで飲んだ。美味しい水だった。
そして華厳の滝。圧巻。自然のちから。
そういえば一日目の夜のことですがホテルのフロントに映画とかのDVDがいくつか置いてあって、ラベルはおそらくホテルの人の手書きで、部屋で映画を自由に見れますよとのことで、なんかそれ良いなとおもって橋本さんが見たことないという「風の谷のナウシカ」を久しぶりに見て、映画の示すもんの説得力が強まっていることに驚き、見入った。人は変わらず、世界は変わっていって、でもそこには人。なんとなくではない、確実に。ナウシカすげえなと眠りにつく。
夢は悲しい夢だった。つらいことばかりがやってくるので戦うのだった。無様だなと起きた。
車を走らせ山を登ると華厳の滝がある。それをみたとき一瞬でさっきの夢なんて忘れていたんだけど、帰り道の途中、新三郷にあるIKEAに寄ったときに鮮明におもいだして早足になった。で、それも一瞬。入れ替わり立ち替わり出会ったり別れたりという、全部一緒の事だから、運命のなかにいるのだった。わりと感じるとき、出すとき、ジャストになっている。そういう気がするのだから、モチベーションはともかく、なんとなくってのはすでに消えて、ただ好きとか嫌いとかがあるのだった。早くも遅くもない。ただ、ある。身体で理解したことは消えない。そういう身体になっていた。
車の運転には慣れている。行きも帰りも車の中では音楽を。途中、買うのを忘れていたと立ち寄った越谷レイクタウン内にあるタワレコで購入した中村一義「運命/ウソを暴け!」を何度か聴いた。その音が車内に流れて風景とも身体とも混じっていくという、やはり音楽だと、なんかよくわからない確信。そして、なんとなくの距離はジャスト射程距離になっている。もっとちゃんと仕留めたい。出来ないの恥ずかしい。そう感じている。これも身体。そしてウソじゃない。
帰宅。
同居人の小林(光春)くんのおじいちゃんが危ないというので静岡に戻っていった。