20171030

水を買って、稽古場へ向かう日々です。バストリオの作業です。エモーショナルがどういうことなのかちょっと見えてきたけど、まだどうなるのかわかりません。10月の稽古は終わりました。
いままでの場で感じてきたこととは違うことを思います。そんな場になって嬉しいです。三者がどのようにそこにいるか、エルサレムのこと、サルガドのこと、複雑な世界のことを、シンプルなものが、ごまかしでなく、近くを遠くに、遠くを近くに思うことについての日々です。11月になればあっという間に本番となります。11月9日から15日まで。北千住buoyで。

音は、角銅真実さん、3日満月、タカラマハヤくんから届いてきて、どれも素晴らしいです。
美術・宣伝は、黒木麻衣と新穂恭久が手がけてくれて楽しいです、ここからZINEの制作などもあります。
衣装は、告鍬陽介くんのcatejinaから衣装を提供してもらいます。彼のやることが好きです。
役者は、それぞれの持ってるものに触れ始めたので、外へ分け合えるように向き合ってます。会えてよかったです。
スタッフも心強い人たちが参加してくれます。

会うのは人です。音です。光です。やることをやって、そこから消えます。よろしくお願いします。

20171011

山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったのは10年ぶりだった。
そんなに経っていたのかと驚き、これほど大好きな映画祭なのになぜだろうと考えたけど、時間は流れていて、いつのまにか僕は演劇という表現と出会ってそちらで活動をしていた。10年前、2007年に佐藤真さんが亡くなってから、喪失感とよくわからない気持ちを抱えたまま山形の映画祭へと足を運んだのが二度目だった。それが2007年のこと。一度目は2005年、京都造形芸術大学に通ってるとき、佐藤さんに引率されて訪れたことを覚えている。世界各国の様々な映画に触れて、大きな刺激を得たことを今でもはっきりと覚えている。それから長い時間、佐藤さんの不在を一人で受け止め思考する日々があって、2011年の震災後は、顕在化していく様々な事象を現実的に受け止めながら、カメラを回すことを選ばなかった自分は、ドキュメンタリーという表現と適切な距離でいようとしていたのかもしれない。でも、だからといって、全く考えていなかったといったらそんなこともなく、佐藤さんのことや、その時の自分にとっての表現に対しては、思考と実践を繰り返してきた。
その距離を、急に埋めるような時間があったのは、去年のことだ。
本屋でふと目にした佐藤真さんを特集した本「日常と不在をみつめて〜ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学」を読んだこと、それに関連してアテネフランセで開催された特集上映に足を運んで、その本を出版した里山社の清田さんや佐藤さんに関わる人たちと出会えたこと、自分の舞台『SELF AND OTHERS』のために冬の大雪のなか、念願だった阿賀の方へと足を運んで、『阿賀に生きる』に出演していた旗野さんにお会いして色んな話をきかせていただいたこと、それらの体験が重なったことで大学時代のドキュメンタリー漬けだった日々の記憶が蘇ってきた。ゼミでドキュメンタリー映画の実作に取り組んでいた日々、いまも抱えている思考の全てはそこからだった。
そのあとも、京都の立誠シネマで開催された特集上映にも読んでいただき、同じ大学を出てから演劇をつくっている村川くんとトークをしたり、そこで佐藤真さんの映画の編集を担当していた秦さんと出会うなど、とてもありがたい機会が増えていった。

そして今年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来~全作上映とトーク」という特集上映のなかで上映される『我が家の出産日記』と『おてんとうさまがほしい』のアフタートークに呼んでいただいた。とても光栄な機会だったし、ぜひよろしくお願いします、と返事をして、山形へと向かった。10年ぶりだった。思い出が蘇ってきた。そこで見る映画から受ける刺激は大きかった。10年前もそうだったし、12年前も、山形でもらったものは大きかったと思った。トークをする前の晩、何を話そうかとぼんやり考えていたけど、佐藤さんの声は鮮明な記憶としてあるのに、たくさん話してもらった内容を、はっきりと思い出せないことも多く、困ったなあと思いながら、いつのまにか眠っていた。
そして当日。朝から山形美術館へと向かって、二本の作品を見た。一本目で佐藤さんと家族の魅力を見つめて、二本目の作品では編集に圧倒された。どちらも面白かった。お客さんの前に呼ばれてから秦さんと話す時間は、なにも用意せずにきていたのでただ思うままに喋った。不思議と、言葉はいつのまにか出てきた。無事に終えることができて、このトークに呼んでいただいた秦さんと、佐藤さんの奥さんにも挨拶をして、会場を出た。

山形ではたくさん感じることがあった、頭ん中の思考が引っ張り出されていく時間だった。
いくつもの映画を見て、佐藤さんに関係している人たちと改めて出会うことができて、素晴らしい時間を過ごした。
10年前から引き継いできたものが自分の中では一つの区切りをつけて、またこれから前に進んでいくのだと思う。
このような機会をつくってくれた人たちや関係者の方々に感謝しています。本当にありがとうございました。
また山形か、どこかでお会いできるように。

20170930

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撮影一日、編集二日。
自分は撮りたい人がいるということがなにより大事だったなと気づかされましたし、良い状態なのかもしれないです。人、人、人、さらにそこにはいろんな生き物が入って来たら楽しいことです。植物だろうが動物だろうが。

空をミサイルが飛んでいきました。
遠く見えないところで起こることが、身近なところまでやって来たときのことを想像するのは難しいです。来ないかもしれないし、当たり前のように来るかもしれない。見えないものは難しいです。関係ないと思えたりするし、見えた気になったりするし、関係ないことにもできるから厄介です。でも、いつか目の前に現れた時には、自らを嫌悪してしまうほどに不自由だと感じる何かと向き合っていくことになるのかもしれないです。不自由さを憎むかどうかなんてその時にならないとわからないです。今だって探せば自分の周りに不自由なものはたくさんあって、それらと付き合ってます。自由が遠くなったような気持ちになって一日が終わるのを待っているなんて気分が悪いです。じゃあ自分勝手にやるか。それも出来ないとしたら。日本では今度選挙がありますが最悪な選挙です。嘘みたいです。日常でも裏切りは簡単に起こります。自分が助かるためだったらもちろん逃げます。それが自由、でも心からそれで良いんだなんて言えない。言いたくないと思う。気づくと自由を憎んだりしている。なんでだろう。気持ちをざわつかせながら銭湯へと向かいます。隣でお湯に浸かるおじいちゃんは何を考えてるんだろう。聞いてみないとわからないけど、とても歳をとってることはわかります。でもわからないことだらけです。
いつだって、見えないもの、自分が見たもの、世界をどのように見ているかってことからやっていきます。
インターネットの出現が変えた世界とどのように付き合うかは通り過ぎました。演劇という表現を始めてから数年間でいろんな人たち、出来事、風景と出会えて豊かで多様なそれらが今も自分の中に残ってます。
不自由と自由はなんの違和感もなく同時に存在している。正反対だと思えるようなことは見事なまでに同時に存在し続けている。目に見えないところで起きていることが、同じ場所に存在する。そんな感覚が自分の中にはあります。
どちらかが弾かれるようなことがあったとしてもどこかで存在していて、そんな世界を歩いている、移動している、そして生きている。

そんなことを考えながらつくった短編映画です。
兄役の菊沢将憲さんには出てもらいました。友人だからです。この人が存在していることが自分にとっての映画づくりですし、撮りたいと思う人と出会えたんだと思ってます。妹役の橋本和加子さんは今まで一緒に活動をしてきて彼女の様々な感情を近くで見て来たのですが、彼女は悲しみも喜びもどちらも見事なまでに同時に存在している人だなと撮っていて感じることができました。

20170926

きのう、短編映画を撮影、これからぎゅっと編集して10分ほどのものにします。
不自由で自由な兄妹の旅のはなしです。

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20170923

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道で金木犀の香りがするようになった。
この頃は、浴びるように見るもんがあちこちにあるので、東京に住んでいるということはこういうことが面白いんだよなあと再確認してたのですが、おかげでとても充実してます。

逆のことをする地点に至ったのち、反対だと思えたそれらは同時に存在しているのだという感覚を得ていく中にいて、わからないなあとそんな風に作業を繰り返していたけれど、すでに感知するそのものに触れていたことを一つの言葉でつかまえることができた、よって前を向くだけ。
新作に向けて集まって作業してます。この人たちとやるのだ、という気持ちが強いです。

20170916

おととい、再見した映画がすごくよかったので主演俳優を改めてwikipediaで調べた。
生まれた年と日付が載っていた。生きているのを知った。
きのう、その主演俳優は亡くなったらしい。ハリー・ディーン・スタントンという名前だ。
きょう、その事実を知らず、またその主演俳優を調べた。生まれた年と日付の横に一本の線が引かれていて、死んだ年と日付が追記されていた。2017年9月15日。引かれていなかった線が引かれて、彼が死んだことを知った。
死んでしまったのか、そうか、と彼の写真を見つめた。
映画の中の彼よりも、だいぶ老けた顔をした彼が微笑んでいた。

20170913

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これは、大好きな人たちが写っている写真で、たまに見ます。

11月のバストリオに向けていろんなことを準備をしていくのですが、一段、足を大きく上げるような振る舞いからは、きっと遠く離れていたいとはっきり自分は考えているのですが、たとえば人類による大きな移動があったとして、それが一人一人の人間たちによって起こってるってことこそ考えていたいし、すべてミクロに見ていることが、同時にマクロに見えているものと混じり合う速度はもはや停止状態、もうそのまんま、そのまま進んでいったり立ち止まって休憩したりっていう、そういった思考の移動が、何より、感情と共にあったということこそ考えよう、って考えてると、やはり、足を大きく振り上げるような振る舞いなんて些細なことでしかないです。

今度一緒に作品をつくる中野志保実さんからメールが届いていたので少しだけやりとりがあったのですが、そういう話が一緒にできる人と作ることはすごく楽しいことだと思いました。
最近、映画をたくさん見にいっている。相当いってる。映画館によくいるし居心地がいいです。もし、知り合いの方、俺のこと見かけたならちょっと話したりしましょう。コーヒー飲みながら感想話して別れましょう。映画は話すことがたくさんあって楽しいですね。

すごく大事な、ずっと考えて来たことが一つ、結論に至った。

雨のあと、ふたたび足立区にある我が家の前の道で行われている水道工事は激化しています。掘り返す掘り返す。その工事現場の人たちと挨拶をかわす日々があって、その人たちとちょっと会話することが好きだし、なにより彼らは美味そうに弁当を食べる、そのような人たちが好きだということだと思います。

20170909

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一人の作家の作品を見て、
ちょっとどうかってくらい感動しまして、ずっと残ってるのですが、それは泣けるとかいうことではなくて、思考の先に進んでいることに触れることができたからです。淡々とか、あの頃に戻ったとか、そんな雑なことあるわけがないです、日々が燃えていました。近作からの更新があって、簡単に手放すことがないために摩擦が起こる日常の延長にある熱、その敬意の中にいました。

ある人が、こういうことをしたということがあって、それに触れる喜びがあることは何よりです。

新作に向けてオーディションをしました。急だというのに集まってくれた人たちがいてありがたかったです。集中して見ることによって目の疲れが凄いですが、全く共有のない人たちに会うことで、批評的に見ることが意識されるということがあって、自分としては表現をする上で「何がやりたくないのか」ってことを強く知れるいい機会だと思います。

今月から家の近くで水道工事が始まって、騒音と振動が凄いので、文鳥はこの状況をどう感じているのかってことを探りますが、いつも通りに見えるので、なんとも理解し合うのは難しいことです。

20170904

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我が家の文鳥は鳴き、空を飛ぶ、それを見ている。肩に乗って、手に飛び移るといつものように巣に運ばれて、木の棒の上で小さく飛んだり跳ねたり動き続けている。やがて暗くなると、いつの間にか動きがなくなり、そのまま眠っているように見える。眠っているんだと思う。

捕まえるイメージは、現実は、いつだって相反するものをどちらも持っている。同時に。1は2であり3でもある。正反対だと思えるものを見事に持っていて、矛盾と共にある。このことはあまりにも現実離れしているようなことだから、たとえば言葉で表現しようとするとまったく逆のことや矛盾していることを言ってるバカになるが、そうなのだから仕方ない。行き違いが起こる。そのせいか言葉で言い表すこと、共有することに、興味はこれっぽっちもない。ただ、そのことに向き合っている状態が、熱量が上がっていることが静かに巻き起こるのを、一人で感じている。そのことは誰かにひけらかす事をするような価値のあるものでもなく、ただただ、価値なんて幻想からは遠く離れて、そこにあるものへのまなざしとしか言いようのないものと共にあって、審美性からは遠く離れた、驚くほどの幼稚な肯定がある。その時、なぜか一人じゃないような感覚を得たりすることがあって、ただただ、ここはそこになって、陶酔も狂騒もなく、静寂の中で燃えている。

先日、映画上映会を共にした菊沢さんのお誘いで、大阪から用事で来ていた林くんと谷中の店で長話をする。林くんはアニメーション映像作家で、まだ未完成だという新作を見せてもらったけど、とても良かった。店の居心地が良いのもあり、表現することについて真っ向から二人と話すことは栄養になった。直接向き合うことができる存在はありがたい。自分が良いと思う事をただ実行する志がある。

母親とメンバーの橋本和加子さんの誕生日は9月5日だが、その前日、今日は佐藤真さんの命日だ。忘れるわけがない。激しく影響を受けた恩師であり、佐藤さんに出会うことがなければ、自分みたいな人間は表現という道に進もうという気になることはなかったんじゃないかって思う。この世界をどのように見ているのか、ということは、その人のまなざしと共にあって、佐藤さんのように表現と向き合う人がいるなら、そのように向き合うことができるなら、僕にとって表現するということそのものに人生を置こうと思えた、そんな態度を目の前で見せてくれたからだ。忘れるわけがない。怒られたし怖い人だった。真剣に向き合ってくれたんだってことはあとで感じたこと。感謝しても感謝しきれない。佐藤さんとの日々を思い出しながら過ごしましたし、これからもそうだと思ってます。