「座・高円寺」再び

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台風のなか、高円寺へ。
『長屋紳士録』という小津さんの作品がありますが、まあ、小津さんが好きで大学時代には心酔していたので、見れる作品は全部見てましたが、それを東京乾電池が舞台にしているものを見てきました。
演出は柄本明さんで、小津映画のつぎはぎを見ている様な作品でした。もっと地味なものを扱うかと思ったら、割と有名なシーンを使っていました。しかしこの劇場で一週間前にやってたことがまるで嘘だったかの様に、なんだか落ち着かない気持ちで客席に座って、簡素な四畳半で繰り広げられる役者のあれこれをじっと見ていました。役者のあれこれはとても楽しいです。
主要な人以外は、いろいろ配役が毎日変わっていくらしくて、太田順子からはこの回を見て欲しいという報せを受けていたのですが、なるほど、良い役良い場面をやっていました。大好きな映画「麦秋」の一場面でした。いつもの彼女とは違う感じの役で、どうやら緊張していたみたいだけど、彼女独特の魅力が出ていた。
やっぱり声が好きなんだよな、と考えていました。
そしてとにかく役者が多くて、役者の身体ばかり見ていた。あー、いるんだな、そこに。そういう感じで見ていました。いるんですよね。当たり前だけど。そういう当たり前のことでぼーっとしてしまうな。
まあ、でも、人のを見ている場合じゃないんだなと思っていたんです。
自分の事をもっとやっていくべきだと。そんな感じでした。なんだか日々イライラしてきていて、自分って奴に。もっとやれよ馬鹿野郎という感じなので、どうも焦っている気がします。映画を完成させていないのもいけないんだと思います。たぶん自分の中でのズレが大きくなっているんです。それが結構苦しいです。状況を変えるには自分が変わるしか方法がないので、もっと変化していこうと。
とても似合わないですが、野のココロが出てきているんでしょう。もっと良いものを作りたいです。
次、11月の京都でつくる作品『まるいじかんとわたし』は、小澤と児玉と今野と橋本は出ます。そしてオーディションで一緒にやろうと思った人たちも出ます。たくさん応募も、観客も、来てくれるとありがたいです。
いろいろとアイデアは溜まっております。
「時間」についての話をやります。それをひたすら考えます。3つのシチュエーションでの不条理なものになるでしょう。同時性ってのも考えてます。まだまだです。
とても役者に興味が出ています。初めての事です。