20181205

ここに書くということが減ってるのは完全にネットへの関心の低下です。
最近あったことを思い出しながら10くらいのことを書こうと思います。

1、一緒に暮らす文鳥はほわという名前です。随分大きくなってもう成長はしないのじゃないかなって見た目です。よく激しい勢いで餌を食べますが、そばにいる人間の影響かなと、自分も食べ方は荒いです。ほわを見てると美しいなと思いますが、それがなんでだと言われても真面目に答える気はないです。先月石川県金沢市で公演があったので、家を離れてる間の餌やりと水交換を友人たちに頼みました。友人からほわを手に乗せた写真が届きました。見事な手乗り文鳥として生きる美しい生き物です。

2、粗探しをするより道端になってる赤い実を探したりする方がよっぽどマシです。

3、最近そばにいる友人で西田さんという人がいて、その方は68歳で最近よく一緒にご飯を食べにいったりしてお世話になってます。世代が違う人と一緒にいるのが楽しいと感じるのは自分にとって変化です。前はそういう人たちとはよくぶつかっていたような気がします。思想や考え方の違いとか、、気のせいかな。多分楽しいってより、楽しむってことの力がさらに上がったんじゃないかなって思います。面白いにこだわったり一つの場所にいるより、楽しいってことや寂しいってことや悲しいってことの感情何もかもが自分を支配してしまう存在でなくなって、なんというかすでに一緒にあるって気がして感情とは同居してるようなもんです。だから心の振れ幅に悩むより感情のエリアどこにでも飛んでいくようになったら無駄な角が取れて一緒になってきたっていうか、感情全てが同じフィールドにあるような気がして、それぞれの熱みたいなものが別のものへと感染していくようなイメージがあります。「寂しい」ってことがあっても「楽しい」ってことへと同時に向かうような抱え方というか、そんなことを考えたり考えなかったりしています。

4、珈琲を飲むならアジアの豆を積極的に選んでいましたが、いよいよアフリカに興味が出て来ました。爪痕を残すような味が持つ違和感こそが、今、珈琲を飲むことの楽しさとなってます。今度吉祥寺でやる滞在制作『オープン・グラインドハウス』でもアフリカのブルンジの豆を使ったコーヒーを淹れることになりました。違和感こそ大事にしたくて、でもインドネシアの豆が好きだったりするのですが。今回の『オープン・グラインドハウス』ではアフリカと出会ったという事です。

5、そう、『オープン・グラインドハウス』って作品をやります。参加者は素晴らしい人たちが揃ってます。全体把握できないことも引っ括めて作品だと言いきれます。今まで付き合いがなかった吉祥寺シアターからのお誘いでそれはとても嬉しいことで、縁のなかった場所で今年考えたり実践してきたことを存分に試すことができます。滞在、空間で過ごすこと、その中にある無駄なことにこそ大事なものを見つけたいです。ご飯や珈琲でも飲みながら街の人たちとお会いしましょう。搬入口が開いてるのでお時間ある皆さんは吉祥寺シアターに遊びに来てください。参加する人たちと何か作ったりパフォーマンスをやったりします。12月10日から15日まで滞在してます。14日と15日がパフォーマンス『グラインドハウス』をやってみる日です。ぜひ。
http://busstrio.com/open-grindhouse

6、美しいって定義してしまった瞬間に手放してるものはあります。

7、11月のことです、金沢21世紀美術館でバストリオが『黒と白と幽霊たち』を上演しました。美術館という場所に植物を持ち込むのは微生物の問題で大変シビアなことだと知りました。それでも外にあるものを持ち込むために、枝や石を磨いて空間へと引っ張り込みました。子供達が来てくれたり、多くの金沢の人たちが来てくれたことは出会いで収穫でした。美術館の職員の方や地元のテレビやラジオ局の協力もありました。ありがとうございました。副館長の黒澤さんには最大級の感謝しかありません。前回の金沢公演も含めて本番を4回も見ていただき、人や芸術に向き合う誠実さには頭が下がります。
好きだと思う人も嫌いだと思う人もいて当然、それは入り口の話で、その先へと足を踏み入れてくださる方との出会いによってこそ成長させてもらっています。金沢にはぜひまた来たいと思います。精進せねば。

8、minamoのライブを渋谷に見に行きました。最近僕がご一緒している松本一哉さんとのコラボレーションでした。その時感じたのは、久しぶりに見たminamoというバンドが発するものが良いなあという事で、改めて杉本佳一さんと安永哲郎さんという二人の存在を考えた日でした。

9、今度やる12月の吉祥寺企画が終わったら映画『グッドバイ』の上映、新作映画制作、新作演劇のために動く予定です。いつだって新しいものとこれまでのものの間にいます。

10、何かをやる理由なんて言い訳みたいで理由を生み出す努力をしたり知識をひけらかすより、実際にやりたいことや自分がやる事をやり進めるだけです。その為に日々を大切に過ごしていきたいし、生を肯定したいと思います。

20180901

久しぶりに書くことにしました。
特に意味はないですが、今年やってきたことを振り返ってみようかと思います。
覚えてる範囲で書いてみます。

3月にはこどもえんげき部をやっていました。
西新井ギャラクシティという施設で足立区の子供たちと演劇をつくっていく場を五年間担当してきて、今回は『きらきらのこと』という発表会で集大成といえるような時間を過ごしました。子供たちは凄かった。もう、自分たちで独立してこの活動を進めてくれていて、一緒に育てていってるなあと子供とか大人とか関係なく対話ができている貴重な場となっています。自分がやっていることですが、すごいことだなあと本当に思います。
その後、お世話になった職員が変わってしまうという事態となって色々とギャラクシティがバタバタしていたのですが、子供たちとの繋がりが強くなっていて、辞めないで欲しいと皆に直接言われたので6年目に突入しました。
この夏は「こどもえんげき部夏休み編」と題して、短期で初めて夏に発表会をしましたが親御さんと初めて交流することができたし、子供たちは自立していって経験者が未経験者を引っ張っていく現場で頼もしいです。この活動が自分の創作活動に与える影響は大きいです。

5月、ワークショップオーディション六回転を開催して、初めましての人たちと出会って新たな試みをしました。
それはのちに、急な坂スタジオでの20日間の展示『扉のあけ方』や、7月三鷹SCOOLでの『ストーン』へと繋がっていき、作品として整理したものを用意するよりも混じり合った混沌としたものから新たな方向性を見つけていきました。5月から7月まで、ほんと重要な三ヶ月を過ごせたと思ってます。
いま何より自分にとっての発見が必要で、身近な均衡を保つための優等生な態度でなく、出会うことのないようなどこかの誰かに向けたやり方で、それは例えば五月に訪れた新潟のあざみひら集落で出会ったおばあちゃんが僕に与えてくれた一瞬の邂逅によって見つけることができたもの、そういう時自分が反応できるような自然な状態でいれるか、物事を考えたり感じたりできているかどうか、流れこそが大事です。
与えてくれるものを引き継いで、自分が見据えていく先にこそ行きたいと思ってます。

8月、新潟で開催されている大地の芸術祭の中の、あざみひら演劇祭に参加しました。
これは特別な時間でした。野外での初めての公演。雲を見つめて雨を全身で浴びて、観客と演者が同じように濡れながら、『黒と白と幽霊たち』を立ち上げていきました。人生で経験できるかどうかわからないような時間でした。そして、この演劇祭に参加している人たちがとにかく素晴らしく、地元の莇平集落の人たち、日比野克彦さんが積み上げてきた明後日新聞社の活動に関わる人たち、参加した劇団の方々、学生たち、敬意しかありません。ありがとうございました。いつかこの出会いが自分のどこかに繋がっていくはずです。
そうだ、黒と白と幽霊たちはいつもとキャストを変えたけど、菊沢将憲さんと坂藤加菜さんはほんと素晴らしかったです。
こういうことは、人が変わればもう再演ではないと思います。

大学で佐藤真さんとの出会いでドキュメンタリー映画を知って表現へと向かいました。そして映画を撮って、演劇という方法を知って、人と何かを起こしていくこと、風景を生み出していくこと、時間と空間を相手に表現をしてきました。そしていま今年完成させた新しい映画が誰かに届いて動いています。
演劇界とかよく知らないです。どこかに属すことなどもないし、どこにでも行こうと思っています。自分が表現することに集中してたいです。それが一番難しくて、何より大事です。
2019年、来年は大事な年になります。

決まってることでは今年の11月に金沢の21世紀美術館で、育て上げてきた『黒と白と幽霊たち』をやります。
あ、あと、北千住BUoYで6月から始まった『こども食堂』も大切な活動の一つです。
やることはいつだって新しいです。



20171210

お久しぶりです。『エモーショナル』の舞台写真がworksにアップされる予定ですが、その前に3枚ほど。BUoYの地下にて。



20171128

遅くなりました、ここに書いておこう。

バストリオ『エモーショナル』という作品を終えました。
不思議なほど、醒めて見つめていました。
これでバストリオでやってきたことが一つの区切りを迎えました。
作っている最中にも感じていましたが、7年かけて考えてやってきたことが出会ってきたことが技術が経験が感覚が溢れるほどあったりするのですが、そのことを言葉にするの無理なので、これにて、って感じです。この発見したものは俺の中にだけあります。参加者や関わってくれた皆さん、お客さんには感謝しかないです。敬意を持って。日常で妥協するのは簡単ですが、表現においては妥協はできないです。

大きな変化がやってきました。
というわけで一歩出て、今は広がってスッキリしてます。
演劇は演劇でそれ以下でも以上でもないし否定も肯定もいらない。
そんな相対的なものにさようなら、いつだって絶対的なものと相対的なものの間の孤独でこそ息をしていきます。
やりたいことは溢れてますが、まずは勉強の日々です。

久々に今日は足立区の銭湯にいきましたが、相変わらずガタイのいい爺さんが溢れてます。地に足がついた仕事をしてきた筋肉が付いてます。その裸たちと一緒に俺も裸で過ごすのが楽しい時間です。すれ違う見知らぬ人たちと裸でいる時間。1時間半、たっぷりいました。
最近のことは、、横須賀で知り合いの演劇を見たり、港区のお寺で12kというレーベルの20周年ライブを堪能したり、まあそんな感じです。あとは普通に暮らしてます。コーヒーを入れたり、足立区の子供たちと演劇をやったり、そういう仕事もしてます。

表現者として生きています。権利を主張する前にやることがあります。
一人一人がそこにいることが何かに回収されたりはうんざりです。
自己否定に酔いしれたり、自意識に浸ったり、不勉強や弱さを振り回したり、
表現においては真っ平御免です。

20171127

エモーショナル、撮影してくれたのは和久井幸一さん。
ありがとうございます。
映像では残せないものもあるけど、また別のものとして残ってて嬉しいことです。

20171030

水を買って、稽古場へ向かう日々です。バストリオの作業です。エモーショナルがどういうことなのかちょっと見えてきたけど、まだどうなるのかわかりません。10月の稽古は終わりました。
いままでの場で感じてきたこととは違うことを思います。そんな場になって嬉しいです。三者がどのようにそこにいるか、エルサレムのこと、サルガドのこと、複雑な世界のことを、シンプルなものが、ごまかしでなく、近くを遠くに、遠くを近くに思うことについての日々です。11月になればあっという間に本番となります。11月9日から15日まで。北千住buoyで。

音は、角銅真実さん、3日満月、タカラマハヤくんから届いてきて、どれも素晴らしいです。
美術・宣伝は、黒木麻衣と新穂恭久が手がけてくれて楽しいです、ここからZINEの制作などもあります。
衣装は、告鍬陽介くんのcatejinaから衣装を提供してもらいます。彼のやることが好きです。
役者は、それぞれの持ってるものに触れ始めたので、外へ分け合えるように向き合ってます。会えてよかったです。
スタッフも心強い人たちが参加してくれます。

会うのは人です。音です。光です。やることをやって、そこから消えます。よろしくお願いします。

20171011

山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったのは10年ぶりだった。
そんなに経っていたのかと驚き、これほど大好きな映画祭なのになぜだろうと考えたけど、時間は流れていて、いつのまにか僕は演劇という表現と出会ってそちらで活動をしていた。10年前、2007年に佐藤真さんが亡くなってから、喪失感とよくわからない気持ちを抱えたまま山形の映画祭へと足を運んだのが二度目だった。それが2007年のこと。一度目は2005年、京都造形芸術大学に通ってるとき、佐藤さんに引率されて訪れたことを覚えている。世界各国の様々な映画に触れて、大きな刺激を得たことを今でもはっきりと覚えている。それから長い時間、佐藤さんの不在を一人で受け止め思考する日々があって、2011年の震災後は、顕在化していく様々な事象を現実的に受け止めながら、カメラを回すことを選ばなかった自分は、ドキュメンタリーという表現と適切な距離でいようとしていたのかもしれない。でも、だからといって、全く考えていなかったといったらそんなこともなく、佐藤さんのことや、その時の自分にとっての表現に対しては、思考と実践を繰り返してきた。
その距離を、急に埋めるような時間があったのは、去年のことだ。
本屋でふと目にした佐藤真さんを特集した本「日常と不在をみつめて〜ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学」を読んだこと、それに関連してアテネフランセで開催された特集上映に足を運んで、その本を出版した里山社の清田さんや佐藤さんに関わる人たちと出会えたこと、自分の舞台『SELF AND OTHERS』のために冬の大雪のなか、念願だった阿賀の方へと足を運んで、『阿賀に生きる』に出演していた旗野さんにお会いして色んな話をきかせていただいたこと、それらの体験が重なったことで大学時代のドキュメンタリー漬けだった日々の記憶が蘇ってきた。ゼミでドキュメンタリー映画の実作に取り組んでいた日々、いまも抱えている思考の全てはそこからだった。
そのあとも、京都の立誠シネマで開催された特集上映にも読んでいただき、同じ大学を出てから演劇をつくっている村川くんとトークをしたり、そこで佐藤真さんの映画の編集を担当していた秦さんと出会うなど、とてもありがたい機会が増えていった。

そして今年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来~全作上映とトーク」という特集上映のなかで上映される『我が家の出産日記』と『おてんとうさまがほしい』のアフタートークに呼んでいただいた。とても光栄な機会だったし、ぜひよろしくお願いします、と返事をして、山形へと向かった。10年ぶりだった。思い出が蘇ってきた。そこで見る映画から受ける刺激は大きかった。10年前もそうだったし、12年前も、山形でもらったものは大きかったと思った。トークをする前の晩、何を話そうかとぼんやり考えていたけど、佐藤さんの声は鮮明な記憶としてあるのに、たくさん話してもらった内容を、はっきりと思い出せないことも多く、困ったなあと思いながら、いつのまにか眠っていた。
そして当日。朝から山形美術館へと向かって、二本の作品を見た。一本目で佐藤さんと家族の魅力を見つめて、二本目の作品では編集に圧倒された。どちらも面白かった。お客さんの前に呼ばれてから秦さんと話す時間は、なにも用意せずにきていたのでただ思うままに喋った。不思議と、言葉はいつのまにか出てきた。無事に終えることができて、このトークに呼んでいただいた秦さんと、佐藤さんの奥さんにも挨拶をして、会場を出た。

山形ではたくさん感じることがあった、頭ん中の思考が引っ張り出されていく時間だった。
いくつもの映画を見て、佐藤さんに関係している人たちと改めて出会うことができて、素晴らしい時間を過ごした。
10年前から引き継いできたものが自分の中では一つの区切りをつけて、またこれから前に進んでいくのだと思う。
このような機会をつくってくれた人たちや関係者の方々に感謝しています。本当にありがとうございました。
また山形か、どこかでお会いできるように。

20170930

walker,2

撮影一日、編集二日。
自分は撮りたい人がいるということがなにより大事だったなと気づかされましたし、良い状態なのかもしれないです。人、人、人、さらにそこにはいろんな生き物が入って来たら楽しいことです。植物だろうが動物だろうが。

空をミサイルが飛んでいきました。
遠く見えないところで起こることが、身近なところまでやって来たときのことを想像するのは難しいです。来ないかもしれないし、当たり前のように来るかもしれない。見えないものは難しいです。関係ないと思えたりするし、見えた気になったりするし、関係ないことにもできるから厄介です。でも、いつか目の前に現れた時には、自らを嫌悪してしまうほどに不自由だと感じる何かと向き合っていくことになるのかもしれないです。不自由さを憎むかどうかなんてその時にならないとわからないです。今だって探せば自分の周りに不自由なものはたくさんあって、それらと付き合ってます。自由が遠くなったような気持ちになって一日が終わるのを待っているなんて気分が悪いです。じゃあ自分勝手にやるか。それも出来ないとしたら。日本では今度選挙がありますが最悪な選挙です。嘘みたいです。日常でも裏切りは簡単に起こります。自分が助かるためだったらもちろん逃げます。それが自由、でも心からそれで良いんだなんて言えない。言いたくないと思う。気づくと自由を憎んだりしている。なんでだろう。気持ちをざわつかせながら銭湯へと向かいます。隣でお湯に浸かるおじいちゃんは何を考えてるんだろう。聞いてみないとわからないけど、とても歳をとってることはわかります。でもわからないことだらけです。
いつだって、見えないもの、自分が見たもの、世界をどのように見ているかってことからやっていきます。
インターネットの出現が変えた世界とどのように付き合うかは通り過ぎました。演劇という表現を始めてから数年間でいろんな人たち、出来事、風景と出会えて豊かで多様なそれらが今も自分の中に残ってます。
不自由と自由はなんの違和感もなく同時に存在している。正反対だと思えるようなことは見事なまでに同時に存在し続けている。目に見えないところで起きていることが、同じ場所に存在する。そんな感覚が自分の中にはあります。
どちらかが弾かれるようなことがあったとしてもどこかで存在していて、そんな世界を歩いている、移動している、そして生きている。

そんなことを考えながらつくった短編映画です。
兄役の菊沢将憲さんには出てもらいました。友人だからです。この人が存在していることが自分にとっての映画づくりですし、撮りたいと思う人と出会えたんだと思ってます。妹役の橋本和加子さんは今まで一緒に活動をしてきて彼女の様々な感情を近くで見て来たのですが、彼女は悲しみも喜びもどちらも見事なまでに同時に存在している人だなと撮っていて感じることができました。

20170926

きのう、短編映画を撮影、これからぎゅっと編集して10分ほどのものにします。
不自由で自由な兄妹の旅のはなしです。

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