20160509

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ゴールデンウィーク最後の日、横須賀中央駅へ。
うたとダンスと人形劇を、元々タバコ屋だったという古民家の二階でみた。
そのまえに大勝利山を歩き、猿島を遠くに眺め、米軍基地の近くにあるハニービーという店でタコスを食べた。
たくさんの人とすれ違った。

生活や意識と繋がっている大事なことを口に出して言う(つまり抵抗する)のにビートが必要だってことについて考える。
いかに省略されたもんのなかで雁字搦めにならずにいれるか。
これがひたすら支配的で、自己責任なんて言葉は軽々しく使われて、クソみたいな空気を吸い込んで正面を向いている。
たくさんの人とすれ違って、また出会ったりするのだ。

今年おばあちゃんが亡くなったときに、棺のなかの顔をみた時に感謝の気持ちが込み上げてきたのは、
いつか自分も死ぬんだってことを教えてくれた気がしたから。
それは友人の出産に立ち会わせてもらったとき、泣きながら産まれた男の子をみたときに感じた思いにすこし似てる。
大声出してから沈黙するまでのあいだ、声をあげていようと、そうおもっている。