20150412

父さんに薦められた本を読みました。
いい本だった。もう一度はじめから読んでみようとおもいます。
きょうは、家の裏に生えている木を眺める事ができるような天気だ。窓を開けて風を通すと家が生き返る。光も差してくる。窓辺で育てている植物も光を集めて首をかしげている。水をやる。布団をたたむ。音楽をかける。朝がきたことを身体に教える時間がおわる。

きのうはワークショップ・オーディション一日目だった。
時間は限られているし、その場でなにかを起こすということ、そしてなにが起きているのか敏感になるために努力する。ありのままでいる事が出来ているなんて思い上がりだ。ぜんぶ揺れていて、ぜんぶ勘違いだったりする。遠く離れてるものを認識することでしか飛躍はないけど、それを捉える勇気をもつことが出来ない人はいるし、それを望んでいる人に会うことはあんまりない。
逆の事をする地点にいたるような出会いがあると、なんて面白いんだろうとおもう。それは別に正しいとか間違ってるとかじゃなくて、あ、でも全部間違ってるんじゃないかと思ったり全部正しいとも感じてて、でも、遠く離れてるように感じる物事は似てる、それだけは気のせいじゃないと思うのは作り続けてきた時間というか、生きてきた時間で蓄積された経験のなかにある。発見は難しい。それはいつも意外なところからしかやってこなくて、別に遠い場所にあるわけじゃなくて、それは近くにあったりするもんだから厄介だ。窓とか扉とかとおなじ。閉まってるのは当たり前じゃない。開けてみるのを見たい。

一つの発表をみた。
自分の書いたテキストを声に出して、少しの間のあと、「はい」って声に出した人がいてそれがよかった。ただ、次に出てくる人への合図が決まってなかったから咄嗟に「はい」って言ったらしい。無意識だったみたいだけどよかった。そのことを見たから伝える。そのことを考えて欲しい。そのことが発表を壊してしまうことなんてないし、それはとてもよかった。
見えないものだって大事。それを簡単に壊してしまう人は論外。