何かを食べて、何かを飲む

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屋上でぐるぐる回っていたというお話。
混乱して動き続ける世界に何も出来ないだけのわりと幸せな日常を過ごしている。
森下スタジオでのワークショップは二日目。人、人。発見は多い。じっと見ているのだった。
しかし森下にくると「ニュータウン入口」の稽古を思い出す。
つぎの作品の事を考える。
女、男。
その間の時間をフラットにしてしまう。
なにを過激にやっても、衝動で動いても、叫んだって、まったくどこかに並べられてしまう事に拮抗して、その間で蠢いているものこそが、それを見つめようとしている事に、彼女、彼が、発見する事こそが、螺旋を上がる正しい作法じゃないかと。それが俺のしたいことなんじゃないかと思っているので、次はそこだと思っているのです。出さなかった部分を出していく必要がある。まったく出ていなかったのが不思議だ。でも次は絶対に出すよ。それによって心が動いたのだった。動く。だからやるのだ。それだけの話。
で、夜に街を歩いていたら、一歩歩くごとに吐いて立ち止まってしまうおっちゃんがいた。
泣いていた。それをちょっと立ち止まって見つめていた。
おえって吐いて、泣いちゃう年老いた男がいたというだけの話。なにがあったんだろうな。
で、俺はというと、ただやりたい。本当にそうなのだった。
一昨年から見据えてきたものが、やっとやれそうな準備が整ってきている気がする。それは作品の話とはまた別の話でこれ触覚の話。触るために育てている。なにいってるのかわからないでしょうが続けます。
で、アセロラを飲む。部屋。誕生日にもらった育てている植物はまだ枯れていない。水をやり続けてもすぐに部屋の植物を枯らしてしまう事が多いのに。こいつは枯れない。ガジュマル。水。
で、『ジャパニーズ・スリーピング』をDVDで見た。面白かったけど、これやはりライブで見るのが良いだろう。この舞台で泳いでいたベタは今も元気に家の玄関で泳いでいる。でも一度ヒーターのコンセントが抜けていて殺しかけてしまったけど、ちゃんと生きています。青い魚。二匹。スリープくんとベタくん。水を変えてあげるのが俺の日課なのでした。俺が命を握っている。だから世話をする。遠くの誰かのことはよく知らないけど、こいつらの事は頑張れば救えるのでした。おわり。