さらなる発見に向けての冒険は続く。

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映像の取り込み中。
爆笑問題の二週連続の情熱大陸を見終えて、つくづく芸人の人の人間臭さがあからさまに出ているところに、どうにも泣いてしまうとしかいいようがない。欠点だらけでそれを武器にして、すり減らして、進んでいくという覚悟に、態度に、どうもやられちゃうんだと思う。絶妙なバランス。なににも代え難い存在に出会うということ。それに気付き、見つける事ができるということ。人は出会えると思う。出会うことの豊潤さ。太田光さんが高校の三年間で友達が一人もいなかったように、自分も横浜の大学時代に友達が三年間いなかった時、自分から出会いに行ったもの、そばにあった本などに特別な想いをもつのはごく当たり前の事だ。一人っ子だった。引っ越しを繰り返す中で、新しくきた土地の部屋で一人、なにをすればいいのかをずっと考えていた日々だった。それは6歳の頃から始まっている。子供の時は友達の中に入っても、いつかそこから消えることを、自分も混ざっているその輪を覚めて見ていた。一人部屋にいるという事実。ここからどこに行けるのかをずっと考えながら、その流れの中で、これがただずっと続くなら、消えてしまいたいと思っていた。ただただずっと考えていた一人の時間、妄想にふけるだけの毎日が、絶望に包まれていて、満員電車の中で人に囲まれながら、それが被害妄想に変化していくという黒さに飽きれていた。続いている。様々な事が続いている。突っ込んでいく事にした。自分の身体で。人に。そして自分で受け止める。とにかく卑怯な事をしないように。適切な距離を測るために。そしたら思考の中じゃ発見出来ない事が、死ぬ程転がっているのだった。ボロボロになればなるほど、削られて削られて、芯みたいなものが、ここにいたのかというような、そんな感触に出会う。そして物思いに耽る。
南波(典子)さんの出産を見つめた時だった。始まりを見た。ここから始まるのだ。それに立ち会った。もちろん彼はお腹の中ですでに母親に助けられて出会っていたはずだけど、皆がそのように始まっている。今から出会いをくりかえす彼が、初めて世界に触れた瞬間を見た。それは彼に出会ったということだ。そこにいる皆が彼の始まりを祝福していた。それはどうにも自分にしたら感動的な光景だった。その中で泣いている彼に出会った時に、なにか特別なものを受け取ったんだと思う。それは出会えたものを大事にするということに賭けたいという想いだった。それに今更はっきりと気づいても、という気がしたけど、こういう風にやっていけたら良いと思ったんだから、それは悪くない気分だった。それを愚鈍に守ることでやっていけたら、
あ、取り込み完了。
ひとまず、しっかりと出会うために、出会う事に、真摯に向き合うために、演劇という行為には希望を感じている。そこに人がいる。これがいまの自分にはとても必要な事だと感じている。もう一度、ちゃんと出会うための準備をしたい。だから今を見つめよう。
しかし髪の量が多いのが困る。そんな事でイライラしちゃうな。ちょっと切りにいこう。