演出と出演と音響と小道具。

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ここに座って色々とやりました。小道具も用意しました。時計は前の淡路島での舞台でも使いました。「原始人みたい」においての愛着ある場所です。
児玉が京都に帰る前に、小澤も含めて一緒に映像をまたもや見ました。表出できなかったことにも言及しながら、でもこれは面白いと素直に思えて、さらに思い返してもこういうことをやれたという事が、次に繋がっていて、やれることがどんどんと見えてくるので楽しくなってきました。どのように出来ていったのかを思い返しても、はっきりした記憶がない。瞬発的に、鈍感に、やっていた。最初に練習したのが「ただの抱擁」をしようというものだったのを思い出した。抱き合うひとを見たかった。あと「ただのパス」ね。その後には「ただの疲労」。これに向かって書いたのかもしれないけど、どうだったかは分からない。何故かこうなりました。実感とかを求めていた。こうなったんだから、こうだったという事だと思う。乱暴と繊細のせめぎ合いがある。もっとやるべき事がある。演出についてもっと真剣に取り組もうと思う。
やっぱり関西でやるべきじゃないかと火がついてきました。
といいながらも、日常は戻ってきました。
髪を切りにいく。CDを借りる。テレビを見る。飯を作る。家には一人です。編集は明日からと決めています。今日の夜は河川敷に散歩です。時間は確実に流れていきます。去年の夏の映画を完成させるつもりです。あと、完成させている台本を映画にすること。「信じたり、祈ったり」という作品をぽつぽつとやります。
そしてルアプルでの活動で受ける刺激は大きいです。
修行は続くのです。