20150622

日本に戻ってきました。
6月2日からドイツ・フランクフルトで開催されたニッポンコネクションに、映画『Hello,supernova』を携え参加して、映画祭終了後にはベルリンやパリをまわり演劇や美術館などを巡ってきました。そんな旅が終わりました。書くことは沢山あるのですが、多過ぎるのでまたいつか書きます。
なにより、映画のことですね。
初めての長編映画でしたが、シネマロサでの上映、そして海外のお客さんにまで見せることが出来て、これまで作品に参加してくれたり協力してくれた人たちには感謝しかないです。ありがとうございました。このようなかたちでヨーロッパに行けて良かったです。ドイツ好きになりました。自由で過ごしやすい。鳥の声が夜まで聴こえてくる、いい街ばかりでした。
よくアカデミー賞かなんかで受賞した人が感謝を述べるときに必死に名前を言っていくというのを見ますが、感謝しなきゃいけない人たちがいつだって多すぎますね。映画というのは関わる人が多いですし。でも、このようなかたちで報われるのは素晴らしいことだと思うので、もっともっと精進していい作品をつくります、ってことで終わります。
いままでにはない意欲がわいてきました。

そして活動を始めます。バストリオが公演をする予定があるのでお知らせです。
8月にはバストリオの野性というユニット名で『海ではない陸ではない』という作品をやります。これは色んな人とやっていこうとのことで始めました。まず第一弾として滝沢朋恵さんというミュージシャンの方に出演してもらいます。演奏というか出演って感じで考えています。場所は去年もやった神保町・試聴室。詳細はトップページで。変なことやると思います。ぜひ見に来てください。
10月はバストリオ本公演で『ニュークリアウォーター』という作品をSTスポットにて。これは後日詳細を発表します。出演者はたくさんの新しい人たちとやります。挑戦しないと面白くないです。ぜひ、またチェックよろしくお願いします。

20150517

映像の編集というのは時間がかかる。
『ヒネミの商人』の編集をやった。それから『3人、』を仕上げていたらあっという間に時は流れてしまいもうこんなところまできた、どんなところだって話ですが、もう5月も半ば。ここ最近はそんな感じであっという間。ただ時を過ごしていくのに慣れてしまうなんてバカなことになってないだろうなと、自問自答。慣れてしまうのは恐ろしい。
作る時だってスタイルで出来上がるというのは職人的で憧れもあるし素晴らしいことでもあるんだけど疑問も浮かんでくる。はたして、こんな風に出来てしまうってことが、自分にもたらすものに期待できるだろうか。体験や経験を生み出していくことの先に作品があったりすることは望んでいる。というか、価値みたいなものってどこからきてんだろう。自分で選ぶ前にあるのだとしたらなんだろうそれは。価値ってのには流れ、みたいなもんがある。正しさとか間違ってるとか大いなる勘違いであって欲しい。

ハイビジョンから4Kとか他人の技術に弄ばれる日々は続く。
綺麗な映像を褒めたたえたり、それが作品の評価だったりするのかもしかして、ってまるでその事(映像の画質が良い)が価値基準だったりして支配されるのはまっぴらご免というこの気持ち。汚いからこそ素晴らしいって、画質悪いから良いんだ、ってな言葉はない。捨てられた過去の遺物。綺麗は簡単で、汚いは難しいってなんだこれ。古い画質でも決して上手くなくても凄みというものはあったりして見据えるのは難しい。超ハードな思考の先にあるはずの感覚への距離。『神々のたそがれ』(タイトル『神様はつらい』の方が好き)に見たそれ、『ヴァンダの部屋』に見たそれ。凄まじい思考の末に横たわる作品の姿に、面白い/面白くないとか、上手い/下手とかに支配されず、見るということはどれほどの重労働で、しかも誰もそんな風に見ることを望んでいるのかどうか。見るという欲望はある。欲しいというより奪われる。そんなもんを見たい。探す。落ちているものの先に未来があるならそれは嬉しいことだとおもう。



20150511

いい天気が続いてる。植物も育ってる。

お知らせです。
監督した映画『ハロー、スーパーノヴァ』がドイツのフランクフルトで開催される第15回「ニッポン・コネクション」のNippon Visionsというコンペ部門に正式招待されました。ありがたいです。出演してくれた人たち、スタッフの人たち、関係者の皆さん、そしてなにより両親に感謝です。
今回、クラウドファンディングによって支援していただいた方々のおかげで海外映画祭への参加まで製作活動を続けることが出来て、このような成果を得る事が出来てほっとしてます。ありがとうございました。これも一つの区切りとして、これからやりたいこともありますし、先を見据えて精進していきたいと思っております。しかし英語、出来ないと本当にダメですね。英語喋れるようになるという目標が出来ました。
これからも映画も、演劇も、チャレンジしていきます。

最近は事務作業と仕事に追われてます。
おそらく年内に2本の演劇作品をつくるでしょう。そして短編映画もつくるでしょう。
新しい時間を始めます。

では、去年はアメリカ横断出来ましたが、6月はドイツです。
広げてきます。

20150419

バストリオがやる予定の企画がいくつもある。
考えるとき、誰とやるのかということが一番大事で、それが決まれば動き出す。

近所を歩く。傷ついた猫が向こうから歩いてくる。頭から、というか体全体から血を垂れ流し道の真ん中をへこへことこちらに向かってくる。立ち止まる。割と大きめでその白い猫はすでに体の毛を血で赤く染めている。痛そうだ。どこかで縄張り争いをしたんだろう。目が合う。心が動く。目をそらさず近づき足下を通り過ぎていく。距離が離れてから振り返る。去っていく猫は足を引きずっている。傷ついていた。それから三日後。夜に同じ猫をみかける。赤く染まっていた毛はじぶんで洗ったのか白くなっていた。まだ足はひきずっている。後ろから一回り小さな猫がついてくる。二匹でいた。白い猫と茶色い猫が街灯の下で身体を擦り合い、そのまま空き家の裏に消えていった。また会うかもしれない。野良猫は長く生きないらしい。たぶんそのうち足は治る。

20150413

言葉とか名付けられるものとか、それそのものと大分距離ができるから、書く、言葉にするってことはなんだろうっておもう日々はつづいている。ある人が、その時に起こっている現象を無視せずに場に投げかける時、傷ついているし不機嫌になっているということが、現象への嫌悪でなく、自分自身の放った言葉や表現にだったりするから、それは感じてる事と距離があるから、そのとき向き合って刹那で表出されるから、感動させられることがある。

昨日は晴れていた。安永さんと蕎麦を食べながら話す。楽しい。
今日は雨か。
見えるものに正直にならないとな。


20150412

父さんに薦められた本を読みました。
いい本だった。もう一度はじめから読んでみようとおもいます。
きょうは、家の裏に生えている木を眺める事ができるような天気だ。窓を開けて風を通すと家が生き返る。光も差してくる。窓辺で育てている植物も光を集めて首をかしげている。水をやる。布団をたたむ。音楽をかける。朝がきたことを身体に教える時間がおわる。

きのうはワークショップ・オーディション一日目だった。
時間は限られているし、その場でなにかを起こすということ、そしてなにが起きているのか敏感になるために努力する。ありのままでいる事が出来ているなんて思い上がりだ。ぜんぶ揺れていて、ぜんぶ勘違いだったりする。遠く離れてるものを認識することでしか飛躍はないけど、それを捉える勇気をもつことが出来ない人はいるし、それを望んでいる人に会うことはあんまりない。
逆の事をする地点にいたるような出会いがあると、なんて面白いんだろうとおもう。それは別に正しいとか間違ってるとかじゃなくて、あ、でも全部間違ってるんじゃないかと思ったり全部正しいとも感じてて、でも、遠く離れてるように感じる物事は似てる、それだけは気のせいじゃないと思うのは作り続けてきた時間というか、生きてきた時間で蓄積された経験のなかにある。発見は難しい。それはいつも意外なところからしかやってこなくて、別に遠い場所にあるわけじゃなくて、それは近くにあったりするもんだから厄介だ。窓とか扉とかとおなじ。閉まってるのは当たり前じゃない。開けてみるのを見たい。

一つの発表をみた。
自分の書いたテキストを声に出して、少しの間のあと、「はい」って声に出した人がいてそれがよかった。ただ、次に出てくる人への合図が決まってなかったから咄嗟に「はい」って言ったらしい。無意識だったみたいだけどよかった。そのことを見たから伝える。そのことを考えて欲しい。そのことが発表を壊してしまうことなんてないし、それはとてもよかった。
見えないものだって大事。それを簡単に壊してしまう人は論外。

20150403

4月になった。
お花見をしたりと桜舞い散る季節に良き日々を過ごしつつ、思い切ってカメラをまわすという決断をする。久しぶりなので勢いというものが必要だった。映画をつくるために、新しいやり方を見つけていく。これがその第一歩。協力してくれた黒木(麻衣)さんと出演する橋本(和加子)に感謝しつつ、さらに撮影を重ねて過ごし、その日々は映画になっていく。『ハロー、スーパーノヴァ』以来、ようやく踏み出した一歩。これから粛々と新作映画を生み出していきます。
気持ちが変わる。

20150330

これほど忙しくなると思ってなかったです。
三月は、粛々と細かい作業をつづけながらこどもえんげき部と向かい合う日々でした。

さて、こどもえんげき部。
去年『みんなちがってる』という発表を5人の子供たちとやった第一期、そして今年は11人の子供たちと創作した『夢みたい』という作品を発表会でやりました。毎回の練習から以前より向き合う時間が長くなり、発見が多かったと思います。今回のテーマとしては出来るだけ自由を謳歌させてあげたかったし、それが難しいことも知って欲しかった。上手くできるかとか失敗してしまうとかそんなことよりも、自分が本当にやりたい事をやってみて、それを人に見てもらうという経験を積んでもらいたいなあと考えながら進めていました。本番当日みんな楽しそうだったから、最後の発表はこれで終わるんだと感じてる子供たちが力一杯声を出してるのを見てると、さすがに泣きそうになってしまいました。貴重な経験になったし、教育についても考える日々でした。
えみ、りさ、こうた、ののみ、このか、そのこ、ふうか、きょうか、れいか、かな、きょうこ、半年間ありがとう!
終わってしまうと寂しいもんです。また一つ学年を上げていく子供たち。
第三期のこどもえんげき部ではどんな出会いがあるか楽しみにしておきます。

これからバストリオが作る予定の新作は溢れております。サイトも近々リニューアル、心機一転。さらに嬉しい知らせもあったのでこれから準備しなくては。で、春もやってきました。いよいよ精進します。

20150316

バストリオでは新作のための出演者/メンバーを募集しています。

10月にstスポットという劇場でやる。いろいろと境界を外してあるがままにしていく欲望がある。どこだって構わない。もっとダイレクトにやってみたい。ワイズマンのような勇気を持って立ち向かう。色んな方々に出会えたら嬉しいので、応募お待ちしてます。

今年つくる作品についての準備は続いています。
そんななか、こどもえんげき部の活動は、いよいよ発表の日が近づいている。頭を悩ませながら、向き合いながら、子供たちは自分たちのやり方を見つけていくはずです。大人として子供と向き合うことの意味を考える日々でした。作るのはたのしい。貴重な体験を与えてくれたギャラクシティには感謝しかないですね。

メモとして。
移動によって「不在」を捉える作品をつくる。
運動、そのダイナミズムによって定置でなく、掴まえることのできない姿としての不在である。いなくてもいることと変わらないとおもう。社会と向き合い、自分との境界について考えて作品をつくる。そして語り=運動としてのフィクションを落語のように。
透明な水はどこかにある、脱出するための一歩を踏んだあとに透明な水は目の前に現れる。その水を探す為に探偵は旅をつづける。ついでと言ってはなんだけど、引き寄せられるように「あの場所」に戻ってみようと考えた。もうそこに「あの人」はいない。でも原点ともいえる、その始まりの場所は、懐かしくて水の音がする場所だった。行っては帰る、透明な水のようにひたすら流れていたいと、そう感情が訴えたのだった。愛情はある。だから行く。「在」るだけの世界を見えない世界に想いを馳せながら。

20150308

作業を進める。
ひたすら出来てしまうから休みなく続けることになり夜になり朝になる。
書き出しについて方法など調べていたら5時間くらい経ってた。

2012年にバストリオが上演した「Very Story,Very Hungry」という作品をやっとこさ編集し終える。分岐点になった作品だとおもう。見てください。踊りまくってますよ。