20151207

ああ、12月だ。
潜っていた、その状態について書きようもなく、その場所でしか見えない景色もあるのに気付いていく時間がずっとあった。時間は尊い。くそったれだ。なんでもないキッカケはふと現れて、手が差し伸べられる。
ほわが肩にむかって飛んでくるように。

人の映画に出演することになる。はじめて役者をやることになった。
役者をやる経験はほとんどなかったけど一緒にやりたい人だから引き受ける。
数少ない友人である菊沢さんからの誘いに取り組む日々が現れて、気付くと沸き上がるものがあった。難しいので面白かった。タイミングというのは不思議なもので、ただただ現場にいることが、その現場にいた人たちが自分に与えるものは大きかった。菊兄さん、ゆいちゃん、ありがとう。確認なんてしたいわけではない。権威的なものは絶対的で退屈で虚しいだけ。
そんなものはとっくにわかりきっている。

バストリオという場がある。演劇であるかどうでもいい。これは場だ。
決まっていたワークショップに取り組む。人と出会うということ、共有が可能かどうかということ。それは成功も失敗も内包していて、第一印象を一緒につくっていく作業で、その最初の感触はどうにでもなるはず、なのに、固まったままではもうその時点で決着はついている。出会いはいつもの扉を開けたふりをするだけなら簡単だ。それはやはり良い事ではない、とおもう。
そして場は二日間で終わる。閉じる。でも終わらない。
毎回出会い、離れるけど、面白い人が来てくれた。参加者の皆さんありがとうございます。
誰でも良いわけではないのだから、その何かを、つくっていくことに必死で取り組む。
参加者の皆さんと短時間で共有することなど限られていて、でも、その限られてることに取り組んで、あたらしい時間が遠くに見えてくる。何度でも言いたいことなのだけど、時間は尊くて、そんな時間との付き合いかたこそがいま考えなくてはいけないことだ。

笑いはある。構造よりグルーブ。壊すのは虚しい。どうせ勝手に壊れる。
どんな言葉も裏切られる事はない。イメージで溶かしたい。
ただただ、ほんとにシンプルな事として終わらせたい。