20171011

山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったのは10年ぶりだった。
そんなに経っていたのかと驚き、これほど大好きな映画祭なのになぜだろうと考えたけど、時間は流れていて、いつのまにか僕は演劇という表現と出会ってそちらで活動をしていた。10年前、2007年に佐藤真さんが亡くなってから、喪失感とよくわからない気持ちを抱えたまま山形の映画祭へと足を運んだのが二度目だった。それが2007年のこと。一度目は2005年、京都造形芸術大学に通ってるとき、佐藤さんに引率されて訪れたことを覚えている。世界各国の様々な映画に触れて、大きな刺激を得たことを今でもはっきりと覚えている。それから長い時間、佐藤さんの不在を一人で受け止め思考する日々があって、2011年の震災後は、顕在化していく様々な事象を現実的に受け止めながら、カメラを回すことを選ばなかった自分は、ドキュメンタリーという表現と適切な距離でいようとしていたのかもしれない。でも、だからといって、全く考えていなかったといったらそんなこともなく、佐藤さんのことや、その時の自分にとっての表現に対しては、思考と実践を繰り返してきた。
その距離を、急に埋めるような時間があったのは、去年のことだ。
本屋でふと目にした佐藤真さんを特集した本「日常と不在をみつめて〜ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学」を読んだこと、それに関連してアテネフランセで開催された特集上映に足を運んで、その本を出版した里山社の清田さんや佐藤さんに関わる人たちと出会えたこと、自分の舞台『SELF AND OTHERS』のために冬の大雪のなか、念願だった阿賀の方へと足を運んで、『阿賀に生きる』に出演していた旗野さんにお会いして色んな話をきかせていただいたこと、それらの体験が重なったことで大学時代のドキュメンタリー漬けだった日々の記憶が蘇ってきた。ゼミでドキュメンタリー映画の実作に取り組んでいた日々、いまも抱えている思考の全てはそこからだった。
そのあとも、京都の立誠シネマで開催された特集上映にも読んでいただき、同じ大学を出てから演劇をつくっている村川くんとトークをしたり、そこで佐藤真さんの映画の編集を担当していた秦さんと出会うなど、とてもありがたい機会が増えていった。

そして今年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された「あれから10年:今、佐藤真が拓く未来~全作上映とトーク」という特集上映のなかで上映される『我が家の出産日記』と『おてんとうさまがほしい』のアフタートークに呼んでいただいた。とても光栄な機会だったし、ぜひよろしくお願いします、と返事をして、山形へと向かった。10年ぶりだった。思い出が蘇ってきた。そこで見る映画から受ける刺激は大きかった。10年前もそうだったし、12年前も、山形でもらったものは大きかったと思った。トークをする前の晩、何を話そうかとぼんやり考えていたけど、佐藤さんの声は鮮明な記憶としてあるのに、たくさん話してもらった内容を、はっきりと思い出せないことも多く、困ったなあと思いながら、いつのまにか眠っていた。
そして当日。朝から山形美術館へと向かって、二本の作品を見た。一本目で佐藤さんと家族の魅力を見つめて、二本目の作品では編集に圧倒された。どちらも面白かった。お客さんの前に呼ばれてから秦さんと話す時間は、なにも用意せずにきていたのでただ思うままに喋った。不思議と、言葉はいつのまにか出てきた。無事に終えることができて、このトークに呼んでいただいた秦さんと、佐藤さんの奥さんにも挨拶をして、会場を出た。

山形ではたくさん感じることがあった、頭ん中の思考が引っ張り出されていく時間だった。
いくつもの映画を見て、佐藤さんに関係している人たちと改めて出会うことができて、素晴らしい時間を過ごした。
10年前から引き継いできたものが自分の中では一つの区切りをつけて、またこれから前に進んでいくのだと思う。
このような機会をつくってくれた人たちや関係者の方々に感謝しています。本当にありがとうございました。
また山形か、どこかでお会いできるように。