20170930

walker,2

撮影一日、編集二日。
自分は撮りたい人がいるということがなにより大事だったなと気づかされましたし、良い状態なのかもしれないです。人、人、人、さらにそこにはいろんな生き物が入って来たら楽しいことです。植物だろうが動物だろうが。

空をミサイルが飛んでいきました。
遠く見えないところで起こることが、身近なところまでやって来たときのことを想像するのは難しいです。来ないかもしれないし、当たり前のように来るかもしれない。見えないものは難しいです。関係ないと思えたりするし、見えた気になったりするし、関係ないことにもできるから厄介です。でも、いつか目の前に現れた時には、自らを嫌悪してしまうほどに不自由だと感じる何かと向き合っていくことになるのかもしれないです。不自由さを憎むかどうかなんてその時にならないとわからないです。今だって探せば自分の周りに不自由なものはたくさんあって、それらと付き合ってます。自由が遠くなったような気持ちになって一日が終わるのを待っているなんて気分が悪いです。じゃあ自分勝手にやるか。それも出来ないとしたら。日本では今度選挙がありますが最悪な選挙です。嘘みたいです。日常でも裏切りは簡単に起こります。自分が助かるためだったらもちろん逃げます。それが自由、でも心からそれで良いんだなんて言えない。言いたくないと思う。気づくと自由を憎んだりしている。なんでだろう。気持ちをざわつかせながら銭湯へと向かいます。隣でお湯に浸かるおじいちゃんは何を考えてるんだろう。聞いてみないとわからないけど、とても歳をとってることはわかります。でもわからないことだらけです。
いつだって、見えないもの、自分が見たもの、世界をどのように見ているかってことからやっていきます。
インターネットの出現が変えた世界とどのように付き合うかは通り過ぎました。演劇という表現を始めてから数年間でいろんな人たち、出来事、風景と出会えて豊かで多様なそれらが今も自分の中に残ってます。
不自由と自由はなんの違和感もなく同時に存在している。正反対だと思えるようなことは見事なまでに同時に存在し続けている。目に見えないところで起きていることが、同じ場所に存在する。そんな感覚が自分の中にはあります。
どちらかが弾かれるようなことがあったとしてもどこかで存在していて、そんな世界を歩いている、移動している、そして生きている。

そんなことを考えながらつくった短編映画です。
兄役の菊沢将憲さんには出てもらいました。友人だからです。この人が存在していることが自分にとっての映画づくりですし、撮りたいと思う人と出会えたんだと思ってます。妹役の橋本和加子さんは今まで一緒に活動をしてきて彼女の様々な感情を近くで見て来たのですが、彼女は悲しみも喜びもどちらも見事なまでに同時に存在している人だなと撮っていて感じることができました。