最近は、タイ料理を食べる日々だった。
この前、テレビで狩猟をやってる人の姿を見たとき、「あ、似てる気がする」と思った。
前に知り合いの音楽家の方に「作ってる意識ってありますか」と問われたことがあるけど、それは特にないとしか答えれなかった。もちろんやればいいってもんじゃなくて、やることからしか始まらないから中に入っていくし、それは行為や行動から始まる。
あるイメージを持って山に入っていき、ことごとく現実に裏切られる、でもイメージすることはとても大事なので続ける、現実に向けて感覚を尖らせることが全てで、そのときやることをやった先に大小関係なく発見があって、捕まえる時は躊躇はいらない、そこに至るまでの準備は重要で全てはディティールへの関心のなかにあって、やることの中からも外からも全方位に発見がある。そして、何より生き物と向き合うこと、終わりはない。
後に何かを失ったような気持ちが残るけど、ある大事な何かを得ている。
面白かった。
もう少しこのことを考えたいけど、この感覚がまとまることはないので書くのは終わり。
でも僕はつくってる。どんな時でも人と一緒に作業をやりたいと思ってる。
そのときに目の前で起こる、誤解や勘違い、失敗と呼ばれてしまうようなものによってこそ解放されていくのを感じている、そうやって外へのまなざしを獲得していくことができる。僕にとってはそれが想像するということで、わからないことに出会うのは素晴らしいなあとおもう。
ドキュメンタリーって言葉が便利に使われているけども、それはドキュメンタリーではないことが多い。